【ランチタイムセミナー】若手研究人材育成プログラムが、我が国の腎臓領域における臨床疫学研究の発展に果たした貢献

11.3/12:00〜13:00

【企画趣旨】

2004年夏、軽井沢に12人の若手腎臓・透析専門医が集まった!
当時、本邦では短期の臨床研究セミナー等はあったが、その効果を疑問に思っていた福原は、参加型の一週間の合宿形式のセミナーを提案したのだ。
主眼は統計解析等のテクニックではなく、ずばり研究デザインであり、臨床医ならではのクリニカル・クエスチョンをリサーチ・クエスチョンに昇華させる極めて実践的なトレーニングであった。当時、日本腎臓財団「透析アウトカム研究会」の幹部であった秋澤先生らは、この荒唐無稽な提案を広いお心でお認めになられた。
この取り組みは個人の能力を上げる切磋琢磨の場でもあったが、同時に高い志の者たちが医局などの縛りを超えてネットワークを作る他に無い極めて貴重な場を与えた。結果として、本取り組みは塾となり、17年継続、180名以上が参加し、参加者による英文原著論文は1000編を超え、10人以上が全国の大学の腎臓内科や臨床疫学の教授となったほか、本多先生のように政府の医療経済評価事業に関わっている参加者も輩出した。
我が国の腎領域では早くから大規模な観察疫学研究が実施されてきた。この背景には、20年以上前から実施してきたDOPPSやMBD5Dの貢献が大きい。RCT至上主義が席捲していた当時、はじめは多くの関心を集めなかったが、診療のばらつきの記述、PRO指標の重視、ベストプラクティスの同定、研究結果の現場への還元、など従来の臨床試験や疫学研究とは異なる画期的な研究であったと言えよう。DOPPSやMBD5Dでは、この取り組みの参加者が多くのリサーチクエスチョンを発案し、解析論文化にも多大な貢献をしてきた。臨床疫学研究のフィールドやプロジェクトと、若手研究人材育成とはあざなう縄の如き関係である。そのどちらが欠けても、それぞれの目的は達成できなかったであろう。
この取り組みは一旦終了したが、2012年、震災直後の福島県にて復活し、スピリットと伝統は「ヒトの泉」として脈々と生き続けている。
この取り組みの成功体験から、若く志のある者が純粋なアカデミア・ネットワークを形成し、政治的な束縛なく、自由闊達に日本の科学に貢献する環境を作るには何が必要なのかを考えていきたい。

【演者】

秋澤 忠男
(公社)日本透析医会会長、(公財)日本腎臓財団理事長

  • 秋澤 忠男
タイトル:
今世界に羽ばたく臨床研究医の育成現場を振り返る
要旨:
世界有数の透析患者密度を誇る日本、しかしその内実を伝える国際的な客観的データは存在しなかった。なぜ存在しなかったのか?そうした臨床研究とそれを担う研究者が欠如していたからである。それを補ったのがDOPPSと若手研究人材育成プログラムから輩出される研究者たちだった。その門出は受講者にとって厳しいものだった。夏の高原リゾート地、高級ホテルでの合宿、参加者の淡い期待は初日に見事に打ち砕かれた。1週間の厳しい合宿の後、受講者たちが得たのは、オリジナルの臨床研究計画書と、受講者が共同して研究計画を実施する機会であった。それが何をもたらしたか? 私が目にした育成現場と、育成された研究者たちが勝ち得た多くの成果を紹介してみたい。
略歴:
  • 1973年
    東京医科歯科大学卒業 同附属病院第2内科入局
  • 1976年
    昭和大学藤が丘病院内科
  • 1999年
    和歌山県立医大腎臓内科・血液浄化センター教授
  • 2005年
    昭和大学医学部内科学講座腎臓内科学部門教授
  • 2013年
    同客員教授 現在に至る
  • 現職
    (公社)日本透析医会会長、(公財)日本腎臓財団理事長 など
本多 貴実子
慶應義塾大学 特任助教

  • 本多 貴実子
タイトル:
私がはじめての英語原著論文を出すまでのものがたり
要旨:
2003年に大学を卒業後、小児科医、小児腎臓病医としてキャリアを積む中で、エビデンスを使うだけではなく自身で明らかにしてみたいと思いながらも診療、育児に忙殺され、焦りばかりが募っていた。2017年に藁にも縋る思いで参加した臨床研究デザイン塾で、思いを同じくする仲間と愛にあふれる先生方に出会い、アクションを起こすことを決意。講師として参加されていた母校の先生から勉強会に誘って頂いたことをきっかけに様々な先生方に繋がり、東京大学SPHを経て慶應義塾大学博士課程に入学した。博士論文では臨床医時代から馴染み深い学校腎臓病検診をとりあげて費用対効果を評価し、卒後21年目にして初めての英語原著論文(JAMA Netw Open. 2024;7(2):e2356412)を完成させた。ようやく研究者としてスタートラインに立った今振り返ると、分岐点ではいつも道標を掲げた先生方が次の扉を開いて下さっていた。2017年から始まったこの旅についてお話させて頂きたいと思う。
略歴:
2003年昭和大学医学部卒業。同横浜市北部病院、東京女子医科大学などで小児科および腎臓病専門医として臨床に従事。2016年臨床研究てらこ屋、2017年第14回臨床医のための臨床研究デザイン塾に参加したことを契機に、臨床研究、公衆衛生を体系的に学びたくなり2020年東京大学SPH、2021年慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科博士課程に進学。現在は同HTA研究室特任助教として医療経済評価の人材育成、分析業務、研究に携わっている。

【座長】

柴垣 有吾
聖マリアンナ医科大学 教授

  • 柴垣 有吾
略歴:
  • 1993年
    東京大学医学部医学科卒業
  • 1999-2001年
    米国Henry Ford Hospital 腎臓・高血圧内科 clinical fellow
  • 2001-2002年
    米国Oregon Health & Science大学 腎移植科 clinical fellow
  • 2004年
    東京大学医学部附属病院 助教
  • 2004年
    臨床研究デザイン塾参加 (一期生)
  • 2008年
    聖マリアンナ医科大学腎臓・高血圧内科 講師
  • 2015年
    同上 教授
  • 2015-2018年
    米国内科学会日本支部理事
  • 現在に至る
福原 俊一
京都大学 特任教授、福島県立医科大学 副学長、Johns Hopkins大学客員教授、慶応義塾大学客員教授
略歴:
北海道大学医学部卒、横須賀米海軍病院インターン、カリフォルニア大学 サンフランシスコ校(UCSF)で内科学レジデント、米国内科学会専門医取得後、循環器・総合内科臨床に従事. その後Harvard大学医学部・SPH合同の臨床疫学特別プログラムを修了(MSc). 1997年よりDOPPSのSteering Committee委員を約20年間務めた. MBD5D研究においてプロトコール作成や主要リサーチクエスチョンの解析論文化に協力. 2004年より「腎臓・透析医のための臨床研究デザイン塾」塾長を17年間、2013年より「會津藩校日新館 臨床研究デザイン塾」塾長を現在まで務める. 2013年書籍「臨床研究の道標」を出版. 2015年Johns Hopkins大学MPH日本プログラムを開講、京都InstituteのDirectorとして主宰. 2020年京都大学 医療疫学分野教授退任後、寄付講座 京都大学 地域医療システム学臨床疫学グループで研究を継続. 早稲田大学、慶応義塾大学の大学院生への講義・実習に協力.